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■入社後一定期間の就労を前提に支払った研修費について、退職した者に対して返還を請求できるか確認する

 当社では、新しく採用した従業員については、入社前に1か月程度の研修を行っている。

 この研修の実施にあたっては、入社することを前提に一定の金銭を支払っているが、この度、従業員Jが入社後1週間で退職した。

 研修規程では、入社後、半年に満たず退職した者については、研修費は返還しなければならないと定めてあるので、この者に対して研修費の返還を請求するつもりだが、問題はないか。

 新規採用(内定)の従業員に対して「研修」を行っている例が多く見受けられます。その場合、外部機関での研修や留学などの研修にあっては、会社が研修費用を負担するという例があり、その費用負担と研修終了後の一定期間の就労義務に係る契約(合意)をめぐって問題が起きています。

 つまり、労働基準法第16条「賠償予定の禁止」として、一定期間就労しなかった場合には研修費用を返還するという契約(合意)が法違反となって返還請求が認められないとされる事例や労働基準法第17条「前借金相殺の禁止」として、前借金と賃金を相殺することができるか否かが問題とされた事例があります。

 お題のケースは、会社が負担した研修費用について労働者から返還を求めた類似の裁判例を参考としつつ、研修規程を整備することが必要になります。

<POINT1.研修の位置づけ>

 お題のケースの就労前研修は法的にどのような性格のものであるかを考えてみます。

 その研修が、業務を遂行する上で必須の資格取得である場合、または、労働者自身の能力向上である場合かによって、次のような違いがあります。

  1. 労働者が、業務遂行のため必須となる研修を、会社の指示によって義務づけられているような場合には、研修に掛かる費用は原則として会社が負担すべきものです。すなわち、労働者にとっても能力向上につながるものがあると考えられる研修であっても、会社によって決められた研修を受けることは今後の業務遂行のためと考えられ、そのような場合労働者に研修費用を負担させることは、道理に合わないからです。事例として、「Y病院にて研修を受けた間に被告が受領した賃金は、実質的には労働契約の対価としての金員である。そして、規程11条は『研修期間中健康生協より補給された一切の金品』と規定しており、その文言中では具体的な金額の定めはないものの、容易にその金員は算定できるから、補給金の返還は『違約金』に該当すると考えられる。」(徳島健康生活協同組合事件[徳島地判H14.8.21])、「研修規程11条は、研修を受ける者が研修終了後被控訴人において勤務することを、研修受講者に対する義務とするという内容を定める範囲では有効であるが、勤務しない場合の賠償額を予定している部分(研修期間中被控訴人より支給された一切の金品を返還するという部分)は、労働基準法16条に該当し、無効である」(徳島健康生活協同組合事件(控訴審)[高松高判H15.3.14])という判決があります。この例は、会社が労働者に研修期間中に支給した補給金の返還を求めたことに対し、判決では、研修は業務遂行であり、補給金は会社が負担すべきものであるので、返還を求めることは労働基準法第16条に違反し、無効であると判断しています。
  2. 研修が労働者の申し出により自らの能力向上のため研修を受ける場合、例えばパソコンの活用を身につけるためパソコンスクールに通う場合などです。その場合、その研修費用や就労時間の融通などを会社が負担し、あわせて、一定期間就労したときは会社が負担していた費用などの返還を免除するが、就労しない場合には返還すること、という契約(合意)は、労働基準法第16条に違反しないものと解されています。つまり、労働者が会社の負担でもって自己の能力向上を図ったわけですから、その返還の対価として一定期間就労することを約したものであるといえます。言い換えれば、会社に貢献しないで、短期間で退職することは好ましくないということです。

 

<POINT2.研修費の返還の条件>

 次に、その研修が入社前と入社後で研修費の扱い方に違いがあるのかについて、実際の裁判例により考えてみます。

(1)前借金相殺の禁止

 入社前の研修費を会社が負担することは、労働関係に入る前に入社予定の労働者に対して一定額の金銭を貸与し、入社後に返還させることまたはお題のような条件(一定期間の就労義務)を付することは、労働基準法第17条に定める前借金相殺の禁止、すなわち「使用者は、前借金その他労働することを前貸の債権と賃金を相殺してはならない」に抵触するおそれがあります。つまり、前借金を根拠として入社後の労働者を会社に縛り付けることはできないとしたものです。

 裁判例として、研修(第2種免許取得の研修)費用返還請求が争われたもので入社前に事前交付金を支給していたものですが、裁判所は「事前交付金は給与前渡金であって、「前借金」ではなく、その交付は弁済期前の賃金の支払そのものである」と判示しています(コンドル馬込事件[東京地判H20.6.4])。

 「事前交付金」が法的にどのように判断されたかですが事例では、「給与を前払いしたとしても不自然とまではいい難いし、他方、事前交付金の交付を受ける側の控訴人にとっては金銭の交付自体に関心があり、その法律的性質については比較的関心が薄かったとみることが社会通念に照らし自然である。事前交付金の性質については、これを給与前渡金(給与の弁済期の繰上げ)とみるのが相当である」とその性質を述べています。つまり、「前借金」と言うまでのことはなく、双方ともごく日常的なやりとり(就労を強制していないこと)であったとのことです。

(2)賠償予定の禁止

 入社時の労働契約をたてにして前近代的な違約金の取立てを禁止したものとして、労働基準法第16条(賠償予定の禁止)では「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、または損害賠償を予定する契約をしてはならない」と定めています。

 つまり、使用者は、労働契約の不履行について違約金を定めたり、未だ実際上の損害を与えた事実がないにもかかわらず、与えることがあるであろう場合を予想して、あらかじめその賠償額を定めるなどの契約(合意)を禁止するものです。これは、会社としては、労働者が契約期間中に転職したり退職したりすることを防ぐために、『一定期間勤務しないという契約不履行の場合には一定額の違約金を支払うこと』を、労働者に半ば強制的に約束させるようなケースです。

 このように、お題のケースのうような場合、研修規程に「入社後、半年に満たず退職した者については、研修費は返還しなければならない」と定めていますが、これが労働基準法第16条の趣旨に違反するかどうかが問題となり、次のような事例があります。

<事例1.>

 先に紹介した裁判例によれば、「第2種免許は控訴人個人に付与されるものであって、被控訴人のようなタクシー業者に在籍していなければ取得できないものでないし、取得後は被控訴人を退職しても利用できるという個人的利益があることからすると、免許費用は、本来的には免許取得希望者個人が負担すべきものである。そして、研修費用条項によって返還すべき費用も20万円に満たない金額であったことからすると、費用支払を免責されるための就労期間が2年間であったことが、労働者であるタクシー乗務員の自由意思を不当に拘束し労働関係の継続を強要するものであるとはいい難い。したがって、研修費用返還条項は、本件雇用契約の継続を強要するための違約金を定めたものとはいえず、労働基準法16条に反しないと解する」と判示しています。

<事例2.>

 先の裁判例と同様の例ですが、タクシー乗務員の2種免許取得のために自動車教習所の授業料および交通費の負担について、「自動車教習所の教習を受けることは控訴人ら(乗務員)の自由意思に委ねられ、被控訴人(会社)の指揮監督下にもないから業務とはいえず、また、2種免許の取得は控訴人らの固有の資格として、控訴人らに利益となることであるから、本来控訴人らが負担すべき費用であって、元々賃金的性格を有するとはいえない」と判示し、労働基準法第16条違反にはあたらないとしています(東亜交通事件[大阪高判H22.4.22])。

 

 事例1.2.のようにタクシー乗務員の2種免許取得のための教習(研修)に係る費用については、先に「研修の位置づけ」の②で説明したように労働者の固有の利益になるものは本人が負担することが原則とされたようです。

 このように、研修の内容・目的、使用者の指揮監督との関係、負担する研修費の額、義務となる就労期間など個別に判断することとされています。

 

<POINT3.結論>

 研修の実施と一定期間の就労を義務づける場合に、会社が負担した研修費用の返還については労働基準法第16条・第17条が問題となることから、次の点に留意されることが必要です。

①会社が業務遂行のために研修を義務づける場合

 研修費用は、原則として会社が負担すべきもので、一定期間の就労を義務づけて、守らなかった場合に返還請求を求めることは、法違反のおそれがあること。

②労働者が自己の能力向上等のための研修費用を会社が負担する場合

 会社が負担する研修費用は、多くの場合、会社からの金銭貸与(金銭消費貸借契約)と考えられ、返還にあたって一定期間の就労を義務づけるという一定条件を付すことは労使間の契約であり、法違反とはならないこと。

 

<POINT4.まとめ>

 お題のケースの場合は、入社前の研修ということもあり、研修費に日当や交通費などの経費が含まれているのか、研修費と賃金の額はどれほどか、また、就労義務の期間が半年というのは研修費に見合う額であるのか、1週間での退職は就労というより研修を受け資格取得のためではなかったのかなど不明な点があり、先の裁判例を参考として判断しなければなりませんが、やはり、1週間で退職した点を鑑みますと会社の期待をないがしろにしたことから返還請求はできるものと考えます。

 これを機会に、研修のあり方を検討されてはいかがと考えます。たとえば、特定の研修を受けるに際し会社が費用を貸与する場合があること、一定の合理的な条件を満たした場合には研修費の返還を免除することがあることなどについて、改めて研修規程を見直されることが必要だと考えます。

※当記事作成日時点での法令に基づく内容となっております※


≪参考となる法令・通達など≫

  • 労基法16条、17条
  • 徳島健康生活協同組合事件[徳島地判H14.8.21]
  • 徳島健康生活協同組合事件(控訴審)[高松高判H15.3.14]
  • コンドル馬込事件[東京地判H20.6.4]
  • 東亜交通事件[大阪高判H22.4.22]