· 

■口頭での合意退職や自己都合退職の一歩的な撤回について

 先日、退職勧告を行った従業員において、面談時に口頭にて「退職します」との発言があったため合意退職の手続を行ったが、あとになって「あれは本意ではない」とのことで合意退職は成立していないと、その合意の撤回を訴えてきた。

 当社はこの訴えに応じなければいけないのか。

 また、この従業員の動きに影響されたのか、合意退職としてではなく自己都合退職として先に退職の申し出をしていた別の従業員がその申出を撤回したいという意向を持っているという情報を得たが、実際に撤回の申し出を行ってきた場合にはどのように応じたら良いか。

 従業員の退職の意思表示には、口頭によるものと、辞表、退職届等と名称は様々ですが書面によるものがあり、その法的性質としては、

     従業員からの一方的な労働契約解約の意思表示であるもの

 

     従業員と使用者の合意による労働契約終了のための合意解約の意思表示であるもの

があり、②については、㋐使用者からの合意解約の申込みに対する承諾であるものと、㋑従業員からの合意解約の申込みであるものがあります。

 ①の場合は、使用者の同意がないかぎり、撤回・変更はできません。

 ②㋐の場合は、従業員の承諾があった時点で合意解約が成立しており、使用者の同意がないかぎり、撤回・変更はできません。

 ②㋑の場合は、使用者が承諾する前であれば、信義に反する特段の事情がないかぎり、撤回・変更は可能と考えられます。

 以下、解説においては、それぞれの場合について、裁判例も含めて説明します。

<POINT1.退職の意思表示が一方的解約の意思表示である場合>

 従業員の意思表示が、使用者に到達することにより効力を生じ、その後は、使用者の同意がないかぎり、その意思表示の撤回・変更はできないこととなります。

 しかしながら、裁判例では、従業員が感情的になり、熟慮を経ない退職の意思表示が多いという実情から、できるかぎり合意解約の申込みと解釈して撤回の可能性を認めようとしていることは認識いただく必要があります。

 

 

<PIONT2.退職の意思表示が使用者からの合意解約に対する承諾にあたる場合>

 使用者が合意解約の申込みをし、これに対して、従業員が口頭や書面により承諾の意思表示をした場合には、その時点で合意解約が成立しており、それ以降は、使用者の同意がないかぎり、退職の意思表示の撤回はできないこととなります。

 

 

<PIONT3.退職の意思表示が合意解約の申込みにあたる場合>

 従業員の意思表示が合意解約の申込みにあたる場合、裁判例では、使用者が承諾する前であれば、信義則に反する等特段の事情がないかぎり、撤回することを可能としています。

 

 

<PIONT4.裁判例>

 次に、裁判例を具体的に見ていきます。

(1)撤回を認めたもの

①株式会社大通事件[大阪地判平10.7.17]

 同判決においては、取引先工場で暴言を吐くなどした職員Bが、1週間の休職処分を申し渡された際、「会社辞めたるわ」と言って同僚の制止を振り切って帰り、翌日、出勤しなかった事案について、『辞職の意思表示は、生活の基盤である従業員の地位をただちに失わせるものであるから、その認定は慎重に行うべきであって、労働者による辞職の表明は確定的に雇用契約を終了させる旨の意思が客観的に明らかな場合にかぎり、辞職の意思表示と解すべきとして、職員Bの発言は雇用契約の合意解約の申込みであると解し、会社側がこの申込みに対する承諾の意思表示をする前にこの申込みを撤回したというべきであるから、合意解約は成立していない』としています。

 

②大隅鉄工所事件[名古屋高判昭56.11.30]

 入社後半年の職員Aが職場内での民生活動が会社側に露見したことに狼狽し、退職願を提出したものの、翌日(15時間後)に撤回した事案について、『一般に雇用関係の合意解約の申入れは、雇用契約終了の合意(契約)に対する申し込みとしての意義を有するものであるが、これに対して使用者が承諾の意思表示をし、雇用契約の終了の効果が発生するまでは、使用者に不測の損害を与える等信義に反すると認められるような特段に事情がないかぎり、従業員は自由にこれを撤回することができると解するのが相当であるとしたうえで、職員Aの退職願の提出とその撤回は軽率かつ身勝手さの感じられるものではあるが、Aの置かれていた状況や年齢、経歴等、会社側の遺留とその後の相反する態度などの事情を総合して考えれば、撤回が会社側に不測の損害をおよぼす等信義に反する特段の事情があったと認めることはできず、当該撤回が、会社が合意解約の申入れを承諾する前に行われていることから、その撤回を有効』としています。

 

③ピー・アンド・ジー明石工場事件[大阪高決平16.3.30]

 特別優遇処置による退職者募集に応じて退職申出書を提出した者が、当該募集の受付方法欄記載の「合意書」が作成される前に退職申出を撤回した事案について、『本件退職申出書に対し、工場長が承認欄に記名・押印しているものの、「特別優遇措置による退職者希望受付について」と題する書面に『合意書』を作成して受付を完了とすると記載されていることから、『合意書』が作成されるまでは、退職の受付は完了せず、退職申出書の撤回により、退職の合意は成立していない』と認められました。

 

 

(2)撤回を認めなかったもの

〇医療法人A病院事件[札幌高判令4.3.8]

 会社側が、職員Bの非違行為の判明を伝え、自主退職を促した3日後に面談を行い、その場で、Bが退職を申し出、会社側事務部長が了解した事案について、『職員Bの発言が長時間にわたる弁明後に行われたものであり、事務部長の確認にも再度退職する旨発言しており、精神的に動揺した中で衝動的にしたものとは認めがたいこと、退職すると述べた後、残年次有給休暇の所得、退職日の打ち合わせ、私物の持ち帰りなどについて述べており、確定的な退職の意思を有していたと認めるのが相当であることとして、Bの発言は、労働契約の合意解約の申込みにあたり、権限が授与された事務部長が了解したことで、合意解約が有効に成立したと判断でき、その後に行われた撤回の意思表示加工力がない』としています。

 

 

<PIONT5.お題のケースについて>

 お題の場合においては、退職勧告が会社側の合意解約の申込みと判断できるものであれば、面談時に従業員が「退職します」と発言したことにより、合意退職が成立したこととなり、合意の撤回を行うことはできないものと考えられます。

 

 一方、退職勧告が退職勧奨にとどまり、会社側の合意解約の申込みとはいえない場合には、従業員の意思表示は、合意解約の申込みであり、これに対して、会社側が承諾する前であれば、合意の撤回を行うことはできると考えられます。

 

 お題では、合意退職の手続を行ったとありますが、就業規則や社内規程に基づいた退職手続を終了しておらず、合意退職が成立していないと考えられる場合、撤回は可能となる場合があることに注意する必要があります。なお、撤回が信義に反する特段の理由があったとするためには、相当の理由が必要と考えられます(前記大隅鉄工事件等参照)。

 

 また、他の従業員も申出の撤回の意向を持っているということについては、自己都合退職の申出も、裁判例では、合意退職の申出と判断される場合が多いことを念頭に、自己都合退職の申出の経緯を踏まえ、その意思表示が一時的な感情によるものではないかなどの事情を慎重に見極め、さらに、就業規則や社内規程に基づいた退職手続がすでに終了しているかを判断するなど、丁寧な対応をする必要があると考えられます。

※当記事作成日時点での法令に基づく内容となっております※


≪参考となる判例≫

  • 株式会社大通事件[大阪地判平10.7.17]
  • 大隅鉄工所事件[名古屋高判昭56.11.30]
  • ピー・アンド・ジー明石工場事件[大阪高決平16.3.30]
  • 医療法人A病院事件[札幌高判令4.3.8]