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■採用時に精神疾患の既往歴等を申告させることについて

 最近、世間では精神疾患を発症したが休職や退職をするケースが増えているといったニュースを目にするが、精神疾患は繰り返し発症することも多いようなので、これから従業員を採用する際には、精神疾患の既往歴について申告させたいと考えた場合、そこに問題はないか。

 企業がどのような者を雇うかは、法律の特別な制限に反しないかぎり、原則として自由にこれを決定することができます。

 そのため、従業員の採用にあたって企業にふさわしい人材を選考するために、必要な情報の収集の一手段として、応募者から必要事項について申告を求めることもできます。

 但し、そのような情報収集は、あくまで応募者の業務への適性や職業能力を判断するために必要な合理的範囲内のものでなければなりません。

 また、申告を求める場合には、企業として申告事項をどのように利用するのかを説明し、本人の同意を得ておくことが必要です。特に、精神疾患に関する情報については、取扱いに注意しなければならない個人情報であることに留意しなければなりません。

 以上を総合すると、従業員を採用する際に精神疾患の既往歴について申告させる場合には、応募者の人権との関係で問題になる可能性もあるので、事前に業務との関連での調査の必要性やその方法について慎重に検討しておくことが必要と考えます。

 なお、企業においては、採用後に取得・保有する労働安全衛生法等に基づき実施する健康診断の結果など労働者の心身の状態に関する情報については慎重な取扱いが必要であるため、厚生労働省から示されている「労働者の心身の状態に関する情報の適正な取扱いのために事業者が講ずべき措置に関する指針」(平成30年9月7日公示第1号)を踏まえ、労働者の健康情報等の取扱規程を策定し、それに基づいて情報の適正な取扱いを行う必要があると考えます。

<POINT1.採用選考にあたっての基本的考え方>

 従業員の採用の良否は、企業の経営基盤を左右する重要事項ですので、企業には採用するか否かについて契約自由の原則に基づく採用の自由が認められています。

 但し、従業員の採用にあたっては、公正な採用という観点が求められるため、応募者の業務への適性と職業能力を基に選考するべきであり、それ以外の要素まで調査をし、これを採用の判断材料に含めることは適切ではありません。

 

 

<POINT2.採用時の調査>

 それでは、応募者の適性・能力を見極めるための調査はどの程度まで認められるのかという点が問題となります。

 この点に関しては、昭和48年三菱樹脂事件判決(三菱樹脂事件[最判S48.12.12])において、採否決定に先立ち応募者が企業の中でその円滑な運営の妨げとなるような行動、態度に出るおそれのある者でないかどうかについて、その者の性向、思想等の調査を行うことは、雇用関係が継続的な人間関係として相互信頼を要請するところが少なくなく、我が国におけるようないわゆる終身雇用制が行われている社会では企業活動としての合理性を欠くものではないとして、企業の調査権限を認めるとともに、その方法として労働者から必要事項の申告を求めることができるとしています。

 

 

<POINT3.健康情報の把握>

 しかしながら、上記の事件(三菱樹脂事件[最判S48.12.12])は、思想、信条の調査にかかる判例であり、近年の個人情報保護やプライバシーに関する社会的意識の高まりの中、応募者の健康情報にかかる調査にもそのままあてはめることが妥当なのかどうかという疑問も生じます

 採用選考時の健康診断に関しては、厚生労働省は「健康診断の必要性を慎重に検討することなく採用選考時に健康診断を実施することは、応募者の適性と能力を判断するうえで必要のない事項を把握する可能性があり、結果として、就職差別につながるおそれがある」としたうえで、採用選考時に血液検査等の健康診断を実施する場合には、その健康診断の内容が応募者の適正と能力を判断するうえで真に必要かどうか慎重に検討するよう求めています。

 また、平成15年B金融公庫事件判決(B金融公庫(B型肝炎ウィルス感染検査)事件[東京地判H15.6.20])においては、企業には採否の判断の資料を得るために応募者に対する調査を行う自由が保障されているので、労務提供を行い得る一定の身体的条件、能力を有するかを確認する目的で健康診断を行うことは、予定される労務提供の内容に応じて、その必要性を肯定できるとしながらも、他人にみだりに知られたくない情報(本件の場合はB型肝炎ウィルス検査)は本人の同意なしに取得されないプライバシー権として保護されるべきであるとしたうえで、「調査の必要性が認められる場合であっても、応募者本人に対し、その目的や必要性について事前に告知し、同意を得た場合にかぎられる」としています。

 

 

<PIONT4.精神疾患の調査>

 このように健康情報の調査については応募者のプライバシー権との関係で慎重な対応が必要ですが、特に精神疾患は健康情報の中でも極めてセンシティブなものですので注意が必要です。

 その調査方法によっては、不法行為責任を問われ損害賠償を求められたり、企業の社会的評判についてリスクを負うことになる点に気を付けなければなりません。

 そこで、応募者に精神疾患について申告を求める場合には、まず、応募者の適性・能力を判断する際にこれが必要な合理的なものであるということが必要と考えます。

 調査の必要性については、当該職業との関連で判断されるべきものと考えられますが、精神疾患といってもその程度や症状はさまざまですので、広範囲の職業において企業が求める労務提供に影響が生じる可能性があります。

 したがって、一般的にはその必要性自体が否定されるケースは多くないのではないかと考えられます。

 次に、その方法についてですが、 先のB金融公庫(B型肝炎ウィルス感染検査)事件の判決をみても、応募者のプライバシー権との関連で、申告を求める目的や必要性について事前に告知し、同意を得ておくことが必要です。

 したがって、少なくとも応募者に対し、申告の必要性についての合理的理由とその取扱い(その情報をどのように利用するのか)についての事前の説明を行い、応募者の納得を得ておくことが必要と考えます。

 また、その際の質問の内容もあくまでも採否の判断に必要な必要最小限の範囲、例えば病名や治癒の時期などにとどめる配慮が必要と考えます。

 

 

<PIONT5.労働者の健康情報等の取扱規程>

 今回のお題「採用の際に既往歴を申告させることの可否」という個人情報の取扱いをめぐるものですが、採用後においても事業者(企業)が取得・保有する重要な個人情報を適正に取り扱う必要があることは当然であり、特に、平成30年の労働安全衛生法の改正等によって健康情報等の適正な取扱いについて新たに示されたものがありますので、ご参考までにこの解説の末尾において若干の説明を行っておきます。

 事業者は、労働安全衛生法等に基づいて実施する健康診断の結果や、労働者の健康確保のための活動などにより、労働者のさまざまな心身にわたる情報を得ますが、その中には前記の個人情報の保護に関する法律第2条第3項にいう「要配慮個人情報」(病歴など本人に対する不当な差別、偏見その他の不利益が生じないようにその取扱いに特に配慮を要するもの)に該当するもの(これは 「健康情報」といわれています。)も含まれています。

 このため、これらの健康情報は、事業者において、労働者の健康確保措置を講じるために有効に活用される必要がある一方において、労働者本人の意図に反した不適正な取扱いをしないようにしなければなりません。

 以上のような事情等を背景として、平成30年の労働安全衛生法改正によって第104条が改められ同条において心身の状態に関する情報の適正な取扱いについて規定されたところであり、また、厚生労働省から、同条第3項に基づき、別途、事業者が健康情報を適正に取り扱うための指針「労働者の心身の状態に関する情報の適正な取り扱いのために事業者が講ずべき措置に関する指針」が公示されており、事業者はこの指針に則った「健康情報等の取扱規程」を策定し、その規程に基づいた適正な取扱いをする必要があります。

 さらに、同省からは、事業者によるこの取扱規程の策定に資するよう、雛形を含む「事業場における労働者の健康情報等の取扱規程を策定するための手引き」(以下「手引き」といいます。)がホームページに公表されています。

 各事業者においては、そこにアクセスするか、最寄りの労働局等の行政機関に問い合わせるなどによりこの手引きを入手され、雛形も参考としつつ適正な内容の取扱規程を策定いただければよいと考えます。

 なお、取扱規程に定めるべき事項として、手引きには次のものが示されています。

  1. 健康情報等を取り扱う目的および取扱方法
  2. 健康情報等を取り扱う者およびその権限ならびに取り扱う健康情報等の範囲
  3. 健康情報等を取り扱う目的等の通知方法および本人の同意取得
  4. 健康情報等の適正管理の方法
  5. 健康情報等の開示、訂正等の方法
  6. 健康情報等の第三者提供の方法
  7. 事業承継、組織変更にともなう健康情報等の引継ぎに関する事項
  8. 健康情報等の取扱いに関する苦情処理
  9. 取扱規程の労働者への周知の方法

※当記事作成日時点での法令に基づく内容となっております※

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《参考となる法令・通達など》

□安衛法104条

□労働者の心身の状態に関する情報の適正な取扱いのために事業者が講ずべき措置に関する指針(平30.9.7公示1)

□平5.5.10事務連絡「採用選考時の健康診断について」

□平13.4.24事務連絡「採用選考時の健康診断に係る留意事項について」

◇三菱樹脂事件[最判S48.12.12]

◇B型肝炎ウィルス感染検査)事件[東京地判H15.6.20]

 

≪厚生労働省:事業場における労働者の健康情報等の取扱規程を策定するための手引き≫

 https://www.mhlw.go.jp/content/000497426.pdf