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■研修終了後に退職する場合の研修費用の返還

 当社では、新採用の従業員には、入社後2か月、外部の教育機関によるパソコンや英会話の研修を義務付けている。

 その際、「研修費用は会社が負担する、 その代わり今後1年間は退職しない。もし退職したら研修費用として20万円を支払うこと。」という誓約書を会社に提出してもらうことにしている。

 先日、入社半年の女性従業員が、残業も多く仕事も合わないとの理由から、依願退職を申し出てきた。

 当社としては、誓約書どおり、研修費用を返還しなければ退職は認めないつもりだが、問題ないか。

 従来から、新規採用の従業員に対して「研修」を行っている例が多く見受けられる。

 その場合、社内で行われる研修は、給与を受けながら業務の一環として行われることが一般的だが、外部機関での研修や留学などの研修にあっては、会社が研修費用を負担するという例があり、その費用負担と一定期間の就労義務に係る契約(合意)を巡っての問題が起きている。

 つまり、労働基準法第16条の「賠償予定の禁止」の規定からみて、一定期間就労しなかった場合には、研修費用を返還するという契約(合意)が同条違反となって、返還請求が認められない、とされることがある。

<POINT1.賠償予定の禁止>

 労働基準法第16条(賠償予定の禁止)では、労働契約の不履行について違約金を定めたり、損害賠償を予定する契約を結ぶことを禁じています

 その趣旨は、「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定めたり、未だ実際上の損害を与えた事実がないにもかかわらず、与えることがあるであろう場合を予想して、あらかじめその賠償額を定めるなどの契約(合意)を禁止するもの」です。これは、現実的な話として、会社が、労働者が契約期間中に転職したり退職したりすることを防ぐために、『一定期間勤務しないという契約不履行の場合には一定額の違約金を支払うこと』を、労働者に約束させたということがあります。こうしたことは労働者の自由意思を束縛するおそれや強制労働の危険性が予想されることから、法で禁じたものです。

 

 ちなみに、研修費用とは異なりますが、労働者の自由意思を束縛するおそれを排除するというこの第16条との関係で示された裁判例の1つでは、雇用契約締結時に200万円のサイニングボーナスを支給し、1年以内に退職した場合にはこれを全額返還する旨の契約条項は、労働者の経済的足止め策にほかならないこと、ボーナスが労働者の債務不履行による違約金ないし賠償額の予定に相当する性質を有していること、退職時の全額返還は必ずしも容易ではなく、その返還をためらうがゆえに労働者の意思に反して労働関係の拘束に甘んじざるを得ない効果を与えることなどとして、この条項は第16条に反するとしています(日本ポラロイド事件[東京地判H15.3.31])。

 そこで、貴社の場合、「今後1年内に退職した場合、研修費用の20万円を支払うこと。」との誓約書が、労働基準法第16条の趣旨に違反するかどうかが問題となります。

 

<POINT2.研修の意味合い>

 研修が、会社の業務遂行にとって必要なものか、または、労働者のキャリア・アップのためかによって、次のような違いがあるとされております。

 

(1)

 まず、労働者が、会社での業務遂行のため必須となるような研修を、会社の指示によって義務付けられているような場合には、研修に掛かる費用は当然に会社が負担すべきものと考えられます。すなわち、労働者にとっても能力向上につながるものがあると考えられる研修であっても、会社によって決められた研修を受けることは今後の業務遂行のためと考えられ、そのような場合、労働者に研修費用を負担させることは道理に合わないと考えられているものです。

 裁判例として、「Y病院にて研修を受けた間に被告が受領した賃金は、実質的には労働契約の対価としての金員である。そして、規程11条は『研修期間中健康生協より補給された一切の金品」と規定しており、その文言中では具体的な金額の定めはないものの、容易にその金員は算定できるから、補給金の返還は『違約金』に該当すると考えられる。」(徳島地判H14.8.21)という判決があり、この例は、会社が労働者に研修期間中に支給した補給金の返還を求めたことに対し、判決では、研修は業務遂行であり、補給金は会社が負担すべきものであるので、返還を求めることは労働基準法第16条に違反し、無効であると判断しています(研修・留学または資格取得費用の返還の可否が争われた裁判例として、サロンド・リリー事件[浦和地判S61.5.30]、長谷工コーポレイション事件[東京地判H9.5.26]、和幸会(看護学校修学資金貸与)事件[大阪地判H14.11.1]などがあります。

 

(2)

 次に、研修が労働者のキャリア・アップのため、労働者の申出によりある資格を得るための研修を受ける場合、例えば語学を身に付けるため留学する場合などです。

 その場合、その研修費用を会社が負担し、併せて、研修終了後の一定期間就労したときは費用の返還を免除するが、就労しない場合には返還するという契約(合意)は、労働基準法第16条に違反しないものと解されています。

 言い換えれば、労働者が会社の負担でもって自己のキャリア・アップを図り、会社に貢献しないで、短期間で退職することは好ましくないということです。

 裁判例を見ると、タクシー乗務員として入社を希望するものに支給された教習期間中の教習費・就職支度金は、希望に応じて支給されるものであること、教習期間中は会社の指揮監督が及ばない状態であること、第2種免許を取得すれば他社でも生かせること、給与規定上の給与とは別に支給されていること、さらに、教習費等の貸与制度の実態からみると教習費等の消費貸借契約が成立していたと解するのが相当などとして、労働基準法第16条に違反することはない旨判示したものがあります(東亜交通事件[大阪地判H21.9.3])。同旨の結論を採るものとして、コンドル馬込交通事件[東京地判H20.6.4]があります。

 

 

<Point3.結論>

 研修の実施と一定期間の就労を義務付ける場合に、会社が負担した費用の返還などについて労働基準法第16条が問題となることから、先に紹介しました裁判例などを踏まえ、次の点に留意されることが必要と考えます。

 

1.会社が業務遂行のために研修を義務づける場合

 研修費用は、当然に会社が負担すべきもので、一定期間の就労を義務付けて、守らなかった場合に返還請求を求めることは、法違反となること。

2.労働者からの申出により研修費用を会社が負担する場合

 会社が負担する研修費用は、会社からの金銭貸与(金銭消費貸借契約)と考えられ、返還にあたって一定期間の就労を義務付けるという一定条件を付すことは労使間の契約であり、法違反とはならないこと。

 

 設問の場合は、1.に該当すると考えられ、法違反となるおそれがあると考えます。

 これを機会に、研修のあり方を検討されてはいかがでしょうか。

 例えば、特定の研修を受けるに際し会社が費用を貸与する場合があること、一定の条件を満たした場合には研修費用の返還を免除することがあることなどについて、就業規則または「研修規程」等を整備することが考えられます。 

 

 

 ※当記事作成日時点での法令に基づく内容となっております。

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 ≪参考となる法令·通達など≫

□労働基準法16条

 

≪参考となる判例≫

□サロン・ド・リリー事件[浦和地判S61.5.30]

□長谷工コーポレイション事件[東京地判H9.5.26]

□和幸会(看護学校修学資金貸与)事件[大阪地判H14.11.1]

□徳島健康生活協同組合事件[高松高判H15.3.14](徳島地判H14.8.21控訴審)

□日本ポラロイド事件[東京地判H15.3.31]

□コンドル馬込交通事件[東京地判H20.6.4]

□東亜交通事件[大阪地判H21.9.3]